我流の医療に神の手はない

 私の年上の友人が「左腕がしびれる」と電話で相談してきた。1ヶ月前からだという。奥さんは、毎日のうたた寝の姿勢が原因と言い、自分では、最近打ち方を変えたゴルフのせいではないかと疑っていた。うなじから背中、そして左腕にかけて、奥の方が固まったような違和感があり、じっとしていてもいらいらとする。その上、左の親指・人差し指がしびれてきたらしい。
 まずは、サウナでマッサージを受けた。強い指圧で、翌日から逆に張りが強くなり、整骨院を受診した。そこでは、電気治療を受けた。あまり変わらず、次第に眠れなくなってきた。そこで、知り合いの勧める鍼灸院を訪れた。顔を見るなり「気欠」と言われ、鍼を受けた。一週間通ったが、すっきりとせず、不安も募ってきた。あちこちに相談する。自宅では、牽引のセットと電子レンジで温める「ホットパック」を購入し、毎日利用している。整骨院で「首からかもしれない。レントゲンで調べてもらえ」と言われ、整形外科を受診した。頸椎のレントゲンでは「第5-6頸椎間が狭くなっており、骨のとげもある。それが神経を刺激して症状が出ている」と説明を受けた。MRIでも同じ場所が傷んでいた。電気と牽引、薬、そして、湿布を指示された。「牽引は家でやります。痛み止めは胃が弱くて、飲めません。湿布はかぶれます」と訴えると「薬は筋肉を緩める分だけ飲みなさい。湿布は種類によるから、試してみて。それと、首の安静にネックカラーをしましょう」と鞭打ちの人が付ける「首輪」をつけられた。
 冷やすより暖めるよう指示され、入浴して首を暖めた。その後、湿布を貼ろうとすると「冷湿布」とある。「暖めろ」と指示しておいて、冷湿布とはどういうことか納得がいかず、電話をかけた。医師は「湿布はどっちでもいいけど、ぬくい方が好きやったら、換えますよ」と言う。理屈の通らぬ対応に頭に来た彼は、私のことを思い出して連絡してきたのだ。
 中年期以降に、首から腕にかけてのだるさや突っ張り、さらには痛みやシビレを訴える方は少なくない。頸椎が原因のことが多く、レントゲンやMRIを行う。彼が指摘されたように、骨と骨の間が狭くなることや、椎体の角に「小さなとげ」を認めることは、加齢変化として珍しいものではない。むしろ、高齢者では、程度の差はあるが、ほぼ全員にこうした脊椎の変化を認める。したがって、その変化を症状の原因と判断することは、慎重である必要がある。
 人間の身体では、重要な臓器は、固い骨によって守られ、簡単には損傷を受けないような構造となっている。大脳からの命令を伝える神経の束である「脊髄」も、「脊椎」という骨にある穴(これがつながって管になる)によって保護されている。脊椎の異常は、中で守られる「脊髄」に異常を引き起こす場合と、脊髄から出る枝で、腕に行く神経を形成する「神経根」を障害する場合とがある。首での脊髄(頚髄)の異常は、腕だけの症状ではおさまらない。頚髄には、下肢への伝達経路も含まれている。したがって、この部分での損傷は、下肢にもシビレ、筋力低下などの麻痺を引き起こす。高度な圧迫では、大小便に影響し、男性の場合、生殖機能に異常を来すこともある。
 しかし、彼のように、腕だけの症状では、障害部位は「脊髄」ではない。「神経根」の圧迫や刺激であり、レントゲンやMRIでは診断がつきにくい。つまり、形態学的検査は、あまり参考にならない。診断と、形態的異常に関する説明には、担当する医師や技術者によって、大きなばらつきが生まれるのだ。当然、その解釈の違いは、治療方法や、生活上の注意にも影響を及ぼす。そのため、本人としては、多くの治療者に相談を持ちかければ持ちかけるほど、混乱し、何を信じてよいのか分からない状況に追い込まれる。疾患そのものによる不安に加えて、バラバラで決め手に欠け、効果の少ない治療経過は、精神的な緊張を増強させる結果となり、筋肉の症状はさらに悪化する。こうした筋緊張による症状は、性格的にまじめで、何かやり出すと最後までやり遂げないと気が済まないタイプの方に多発するが、改善しない状況では、ますますご本人を苦しめることになる。
 「きちんとしてはるから、余計しんどいんでっせ」心理的な負担を少しでも軽減できないかと、今起こっていることと、その背景の説明を行った。一部はこれまで聞いてきた説明と一致し、また一部は、食い違うと彼は言う。電話では埒があかないと、受診していただくことにした。来院した彼は、左手を頭の上にのせたまま、診察室に入ってきた。表情はいつもの快活さはなく、生気がない。首を始終左右に動かしながら、生真面目にこれまでの経過を説明する。通常のアプローチにはうまく反応していないと考え、次の対処が必要と判断した。神経根の炎症を、直接抑える目的で「硬膜外ブロック」をお勧めした。一回のブロックで、半分くらい楽になったと、二度目の実施を計画中である。
 さて、ヘルスケアにおいて、担当者ごとのケアのばらつきは、そのシステムが良質ではないことの証である。同一の疾患に対して、医師間での治療方針が違えば、その施設でのヘルスケアは良質とは言えない。「いつ、退院?」この問いに医師、看護師が異なる回答をする。それが、日本の病院におけるケアの実態である。そのばらつきは、医療機関だけの話ではない。この例のように、ある状態に対して、サウナ、整骨院、鍼灸院、整形外科医と訪れる機関、そして、担当する職種によって、意見は分かれる。さらに、それぞれの職種の内部でもばらつきが生まれる。医師間での意見も、出身医局などの要因により、相違が大きい。これでは、治療を受ける側の混乱は、当たり前である。信頼が生まれるはずもない。少しずつ、一定の状況に対する標準的な対応を定める努力をしないと、効果的な対処ができず、苦しむ人を救えないし、同時に、無駄が増えて効率性に欠けることになる。友人の経過は、そのまま日本のヘルスケアの大きな課題だ。