世の中全体がおかしい

医療事故の報道が跡を絶たない。そして、医事訴訟は増加の一途だという。これにはさまざまな要因が重なり合っている。ケアの内容が高度で複雑となり、一人の人間によって完結できなくなった。優れたケアには、複数の人や部署が連携することが条件となる。人と人、部署と部署の間に繋ぎ目が生まれる。お互いの目的が同じで、情報交換が十分でないと、間違いが起こりやすくなる。利用者の意識も変わった。医師や医療者は特別の存在でなくなった。ヘルスケアにおいても、他のサービス業と同じような顧客重視の姿勢が求められるようになった。事故が隠されず、公開されるようになったことも関係あるだろう。こうした動きの根底に、「医療不信」がある。それは、情報や報道によりさらに増幅され悪循環となっている。不信の根は深い。この課題を一気に払拭することは不可能である。
 ある整形外科診療所での事例を紹介する。4歳女の子がブランコから落ちて、肘を痛がると母親が連れて受診した。医師はレントゲンを撮影し、その結果、骨折と診断した。治療はギプスによる固定である。ギプスの中で腫れが強くなると障害が起こる可能性があることを説明し、夜間でも連絡するよう自宅の電話番号も教えた。良心的な対応である。幸い合併症は起こらず、予定通り2週間目にギプスをはずすことになった。ギプス除去は、カッターを使う。回転せず振動する刃によって堅いものに切れ目を入れる器具である。しかし、音が大きいために、大人でも気持ちがよいものではない。幼子は、スイッチを入れられただけで、泣き叫んで嫌がった。担当医は、暴れる子供をなだめすかし、ようやく除去した。しかし、ギプスの薄い部分に切れ目を入れるとき、カッターが強く押しつけられたのだろう。皮膚に熱による損傷を引き起こしてしまった。線状の熱傷である。骨折は順調に治り、さらに2週間の固定で骨癒合が完成した。
 母親は、骨折がうまく治ったこととは別に、傷ついた皮膚が心配で仕方がない。思い返すと、ギプスをはずすときに、医師は泣き叫ぶ子を押さえつけて処置をしていた。乱暴なやり方だった。思いあまった母親は、最寄りの交番に届け出て、ことの次第を告げた。警察官は型どおり、調書を作成した。後日、事実関係の確認に担当医のもとを訪れ、調書の内容に間違いがないかを正した。ギプス除去の際に傷ついたことは事実だし、大筋において異論がないと判断した医師は深く考えることなく、その調書に署名を行った。現在、業務上過失傷害の罪に問われている。民事ではない、刑事事件である。
 医療の相談窓口ではなく、警察に届けたこと、そして、そこに事件性があると判断されたこと、医師がうかつにも署名したこと、私は、この事例の成り行きにびっくりした。しかし、本来、医療行為において阻却されるべき違法性が、残っているのではないかと疑わせる事例があることも事実である。
 交通事故で膝を打撲した30歳の男性の例を経験した。彼は事故直後、救急病院で応急処置を受けた後で、自宅近くの病院に転院した。そこで半月板損傷と診断され、手術を受けた。手術後2ヶ月半を経過したがよくならないと不安になり、入院中に外出許可をもらって、当科を受診した。松葉杖をついている。体重をのせてはならず、大きな装具で膝を動かすことも禁じられているという。約8pの傷があった。内視鏡(関節鏡)による処置ではなかったようだ。MRIも受けていないという。膝外傷の診断・治療の常識からすれば、奇妙なことが多すぎる。術後5週間ギプス固定を受け、その後、装具(15万円)を買い、装着している。経験上、前医の治療について、否定的なコメントを吐いても事態は好転しないことは分かっている。しかし、この例は常識の範囲を超えていると思われた。退院の上、転医を勧めた。
 まず、医師によって治療方針が異なることを説明した。その上で、固定を除去し、荷重して歩行練習を開始。同時に、積極的な運動療法を処方した。始めてから一週間で、歩行は安定し、階段昇降を練習している。しかし、関節の動きは十分ではない。多少傷の周辺の痛みを訴えるが、順調に回復している。もちろん、本人には告げていないが、私は前医の治療を犯罪だと思っている。不必要な傷を付け(傷害罪)、動く関節を縛り付け(拘束罪)、必要以上の入院を強いた(拘禁罪)。利用者がこの医療機関に不信感を抱くのは、きわめて当たり前のことである。こうした医療者は社会の敵であり、存続できなくなるシステムが要る。彼らをヘルスケアの舞台から引きずりおろし、抹殺する必要がある。一方では、近所だからと安易に医療機関を選択してはならないと利用者に指導していくことも必要である。
 現状の医療現場で信頼関係はなかなか確認できない。受ける側から不信を感じとった医療者は防御的なケアを行う傾向がある。また、逆に、権威に任せて、または、脅し文句を並べて、一方的なケア提供となる可能性もある。どうすれば、信頼関係を築くことができるのだろうか? 現場では、倫理を守り、医学的妥当性のある治療法を丁寧に説明し、合意・納得の上で一例一例の診療を積み上げ、実績を作っていくしかない。同時に、利用者や社会に対しての広報(教育)にも取り組まねばならない。医師や医療機関は同一の能力や特性を持って運営されているのではなく、異なるものであるという認識を育む必要がある。それを前提として、利用者としては、どうすれば優れたケアを受けることができるか、どのようにしてこれを選択すればよいか学習することも求められるだろう。また、こうした選択に必要な情報は正確に集められ、容易に収集できる環境が整備されなければならない。医療者にも、利用者にも意識改革が要る。限られた財源を最大に有効に使い、最高の成果を上げるという方法論に、もっと熱心で、神経質であるべきだ。