悩ましいサービス業

 ヘルスケアは「サービス業」という言い方は、もはや、一般的なものとなった。しかし、最初から、どんな医療者にも合意を持って受け止められたわけではない。自分たちの仕事についての自負、あるいは特権意識、または誤解から、「サービス業」に含まれることへの不快感を表明するムードが、当初はあった。その後、厳しい医療環境というのか、多少の競争原理が導入されるようになると、この抵抗感は一気に消失した。顧客獲得に向けて、「サービス業」のノウハウを適用する医療機関が増加することになる。
 医療は「サービス業」ではないと主張したり、心の中で反論していた経営者の中でも、周囲の施設がサービス業を意識した運営をして顧客を伸ばしている現実を目の当たりとすると、心中穏やかではなくなる。こうして演歌歌手の言ではないが「お客様は神様です」と同じように「患者様は神様です」という接客対応が生まれ始めた。「患者様」呼称が業界内部の話題となった背景もここにある。外来診療では、顧客の単価から「一人一人を5000円札だと思って、サービスに努め、来院頻度を増やせ」と事務長からの檄が飛ぶ。
 「サービス業」の範疇に分類されることに、抵抗を感じる経営者には、それなりの使命感や哲学があったはずだ。しかし、現実には背に腹は代えられぬというのか、まるで手の平を返したような対応となったことに、業界人として悔しさと恥ずかしさを感じる。
 ある事務系の中間管理者との会話から、あらためてサービス業を考えた。医事科を除き、総務や用度など事務職を担当する人が、直接、診療現場を見ることは少ない。しかし、実態を見ないと理念など十分に咀嚼できないおそれがあることから、彼らに外来診療の現場を経験してもらっている。それにより、常日頃から聞かされている自分たちの診療のポリシーを実感してもらおうというわけである。当然、「現実は、聞いてたのと全然ちゃうやんか」という批判も起こる。それも一つの目的である。どうすれば、現実のものとなるか提言してもらえばよいことだ。また、事務職の目からみて、診療における業務の流れについて、問題点の抽出や方策の提示もお願いした。
 
さて、そうした機会に、一人の中間管理者が、私とある患者さんとの対話を耳にした。当院では、待ち時間対策でもあり、診察に先立って診療についての情報を書き込む用紙を配布し、協力をお願いしている。一般的な、既往歴やアレルギーの有無といった情報と、来院の動機となった異常に関する質問である。いつから、どこが、どんな風におかしいのか、これまでどのような対応をしてきて、その効果はどうだったのか、そして、今日来院して、一番聞きたいことはどんなことなのか、記入することができるようになっている。53歳のその女性は右膝の痛みで来院された。しかし、用紙にはいつからで、どのような対応をしてきたか、全く記載がない。カルテの日付の横に受付をすませた時間を鉛筆書きしてあるため、新患として来院された彼女が、診療申し込みをされてから診察室に入室されるまでの時間を知ることができる。彼女の場合、ほぼ2時間を要している。質問票を見ながら診療するのだが、書き込みが少ないために、改めて聞くことになる。しかも、「いつから?」と聞けば、「だいぶん前から」「だいぶんて、いつ頃や」「うーん」「1ヶ月くらい前か?」「いやもっと前」「2ヶ月にしとこ。それから、どうしたん?」「近所の整骨院に行った」「何してもろうたん?」「電気みたいな機械して、十分ほど揉んでくれた」「ようなったんか?」「しばらくは良かったけど。この間、百貨店で長いこと歩いたらまた痛くなってきた」「いつデパートいったんや?」「エーと、あれはいつやったか」こんな調子で、なかなか診察にたどり着けない。そこで、思わず「あのな、質問票にちゃんと書いてくれとったら、こんなに時間かかれへんやろ。これからは、書いてや。お互いにうまいこと時間を使いたいやんか」と注意したのである。
 彼はこの発言が気になったと意見を報告してくれた。「サービス業では、嫌な経験をした人は多くの人にそのことを言いふらす傾向がある。そのために、良い印象を持ってもらうと同じくらい、悪い印象を持たれないように注意するべきだ」と嫌みをいわれた顧客の反撃を懸念した意見をくれた。
 私は、ヘルスケアが「サービス業」であるという意見に何の異論もない。問題は、「お客様は神様」という考え方である。特定のサービス機関には、その組織に適合した顧客がつく。つまり、一定のレベルを持った機関にはそれなりの顧客がつくし、水準以下ならそれなりとなる。サービス機関にいろんな階層・レベルがあるのと同様に、顧客にも、さまざまな階層・レベルが存在する。一つの機関が、すべての顧客に対応できるわけではない。したがって、あらゆる顧客を取り込もうとしても無駄である。優れた顧客を得ようとしたら、自分の組織を優れたものとして、最適のサービスを提供できるように育てるしか方法はない。誰でも受け止めようとすれば、サービスも中途半端となる。その結果、問題点が曖昧となり、組織自体のほころびも見えなくなる。
 「確かに、収入確保という観点からだけ見れば、患者数は維持しなければならない。しかし、数さえ来れば、その中身はどうだってよいのだろうか?」と私は思う。「患者様」は必ずしも、「神様」ではない。来て欲しくない患者もいる。本当に自分たちの組織が提供できるサービスとは何か、そして、それに見合う顧客の階層とは、どのようなものか、明らかにしなければならない。サービスの質を上げるには、専門職種の目的意識を確認し、レベルを鍛え、そして、それぞれがつながるシステムを作ることである。そうすれば、自然に、そのサービス内容に見合った顧客がついてくる。「ろくな患者が来ない」のは、「ろくなサービスしかできていない」からなのだ。