医学教育が不信を招く

 「先生、リウマチも診てもらえるんですか?」と38歳の女性が診察室で問いかけます。「リウマチは関節の病気やから、整形の医者も診るけど、ほんまに関節だけの病気かどうか、注意せなあかんな。その時は、免疫専門の内科の先生に診てもらうことになるな」「今、その専門の先生にかかってますねん。けど、遠いし、話できへんから、近くで診てもらおうと思うて来ましてん」「それやったら、手紙を書くから、今度持っていってや。今までどんな治療していたか、どんな点に注意したらええか、教えてもらお」そんなやりとりで、次の再診を決めました。
 「辛かった」と診察室に入るなり、涙をこぼします。先方の医師に依頼状を手渡すと「この医者はリウマチを分かっとるんか?」と不機嫌そうになり、「リウマチは難しい病気やから、専門家やないとあかんで。まぁ、あんたの希望やからしゃーないな」と不承不承、紹介状を書いて渡してくれたというのです。持参してきた紹介状を開きます。何と、薬が羅列してあるだけです。文章は、一行も添えられていません。患者さんの前で、他の医師の評価をしたり、まして悪口を言うのは私の流儀ではありませんが、さすがにむっとなりました。辛い思いをした目前の患者さんに申し訳なくて、「そりゃ、悪かったな、嫌な思いさして。ちゃんと今までの薬が書いたぁるから、それを参考にして、これからここで治療していこか」と、診察を再開しました。
 リウマチは女性に多い病気で、男性の4〜5倍の発症率です。朝の手指のこわばりが特徴的で、膝などの関節が両方とも、思い当たるような原因がないのに、腫れて熱を持ち痛みで動かしにくくなるという症状も出ます。血液検査だけでは診断できません。一般の方の「リウマチ」についてのイメージはかなり重症のものです。指はゆがむし、歩けなくなる治療方法のない怖い病気と認識されています。したがって、この疾患の治療の第一歩は、こうした誤解を解き、正しい知識を持つことになります。そして、ご本人と医療者が、一緒に協力し合って、この病気による影響をできる限り少なくする工夫を見つけていきます。
 彼女の治療は違いました。定期的な診察は月に1回です。診察前に、定められた用紙に症状を記入します。3ヶ月に1回は血液と尿の検査です。診察室では、ほとんど会話はありません。医師は、書かれた用紙に目を通し、「いつもの薬を出しておきますから、1ヶ月後の予約をして帰ってください」それで、診察は終了です。彼女は、尋ねたいこと、不安に思っていること、いっぱい抱えています。しかし、流れ作業のような診療は、質問を切り出す暇を与えてくれません。しかも、待合いには、患者さんがたくさん順番を待っています。せき立てられるように病院をあとにし、診察のたびに情けなくなったといいます。そこで、「リウマチ科」と表示のある私のところに来たと、彼女はため息とともに語ってくれました。
 大学などの専門医療機関におけるこうした診療形態は実によく分かります。彼らは臨床をしているのではなく、研究をしています。したがって、彼らにとっては、患者さんは生活や人生を背負った一人の人間ではありません。研究の素材(マテリアル)です。数を集めて、自分たちの研究成果を出すことが一番です。そのためには、いちいち訴えを聞いているような診療はしておれないのです。リウマチに対する効果的な薬剤の組み合わせを検討しています。この例でも、いくつかの抗リウマチ剤が使用されていました。すでに、3年間同じ薬を飲んでいるといいます。つまり、3年間、彼女は、毎月、薬をもらい、3月に1回検査されるために、通い続けていたことになります。

 病気が人に与える影響は身体的なものだけではありません。リウマチのように、経過が長くて、改善しにくく、機能障害を起こす疾患では、痛さや使いにくさだけではない「ダメージ」をご本人に与えます。思うように使えず、やりたいことができないという精神的な負担を抱えます。ことに、女性に多く診られる疾患であることは、家事労働など、ご家族に対する世話を十分にできないという負い目を背負い込むことになります。また、子供さんのおられる場合、幼い子に関節が痛いと訴えられると、どきっとするという話を聞いたこともあります。自分の病気が我が子に遺伝する可能性に、怯えるのです。実にやっかいな病気です。
 私たちの組織では「その人がその人らしく自分の人生を全うすることを心(はぁと)と技術(はんず)で支援すること」をスタッフの共通の目標として掲げています。ある教授が、この職員憲章を見て「いくら患者さんに優しい言うても、技術が下手な医者には、何の値打ちもないで。患者さんの立場を考えてとか言うけど、それより患者さんのためになることをするんやから、技術が大事なんや」と反論されました。その大学から派遣されてくる医師たちと話をしていると、教授への評価も技術だけであることが分かりました。
 これでは、自分の問題を親身になって聞き取り、一緒に解決方法を考えてくれる医師が育つことは、これからも期待できそうにありません。アメリカではアカデミズム主導の医療に国民の批判が集中し、何よりも患者の利益を最優先に考えたプライマリケアの強化が叫ばれました。研究部門の最高峰であるハーバード大学においても、この批判に無縁ではなく、医学教育のあり方を根本的に変えたという話を読みました。結局、医療職というのが、患者さんに対してその悩みの解決を手伝うことが基本であるとするならば、日本の医学教育のあり方、また、医局講座制には大きな問題があり、大至急に改革していかないと医療不信はますます増大すると痛感しました。
 もちろん、医師の派遣を受けている一病院長としては、教授の前ではこのような議論はしません。ただ、診察室で患者さんに語りかけます。「ええか、自分の話を聞いてくれへんような診察やったら、帰っといで。また、別のところ捜したらええねんで」