国民の構え、医療者の構え

「この子の前歯は弱いから、親子共々大切に守ってきたんや。どないしてくれる!」手術するときの全身麻酔では、気管に管を通して呼吸の管理を行います。喉の奥を拡げて気管の入り口を見て、管を入れます。そのとき、喉頭鏡という道具を使います。口の開き方や顎の形によって、この操作がしにくい場合、喉頭鏡をこじるようにすると、歯が折れてしまうことがあります。咳の反射で急に動いたためという不可抗力的な事態のこともあり、必ずしも麻酔科医のテクニックが原因と決めつけることはできません。こうした挿管時と、同じように、麻酔をさまし、気管内の管を抜く抜管時にもアクシデントが起こることがあります。麻酔の覚醒時には、肺炎にならないように気管や口の中の分泌物をしっかりと吸引する必要があります。まだ意識がはっきりと戻っていないと、肺の中に流れ込んでしまい危険だからです。口をかみしめてしまうとこの操作ができなくなりますので、チューブによる吸引を容易に行えるようにするため、「バイトブロック」という中空の道具を咬ませるように挟みます。十分に覚醒していないで、この操作をいやがり暴れて、強い力で噛みしめると、弱い歯は損傷してしまう可能性があります。残念なことに、25歳の男性の膝靱帯の手術で、こうしたアクシデントによる前歯の損傷が起こりました。その説明の時、親御さんが言われたのが、冒頭の発言です。
 全身麻酔の時には、担当医から、術前に麻酔についての説明をすることになっています。その時、発生する可能性のあるトラブルについても触れます。その説明内容は書面にして、麻酔の危険性を理解して手術を受けるという同意書の形にして残しています。この例でも、事前の説明は行われており、書面も残っています。そこには、「歯牙損傷」のことも記載されています。また、ご本人から前歯が多少弱いという情報も伺っており、そこで、麻酔に際して特殊なチューブを使い、歯を守る手だてを講じていました。しかし、現実には損傷が起こりました。そして、ご本人・ご家族は、「情報を与えているにもかかわらずこうした事態となっているのは、何も配慮しなかったためではないか」とケアの質について不審を抱かれる結果となりました。担当医が、歯を実際に触り、危険性についてもっと強調すればよかったのではないかなど、事前説明を、もっと徹底しなければならないとみんなで確認しあいました。折れたという事実はありますから、その点は謝罪するしかありません。しかし、情報を少しも役に立てず、弱い歯に配慮しなかったという抗議には、説明を尽くし、疑問を溶かしたいとその後も話し合いを続けています。
 担当した麻酔科医は非常勤です。整形外科医長がこのアクシデントの処理を手伝ってもらおうと連絡しました。「麻酔で歯が折れることがあることは、術前の了解事項だと認識している。たとえ、健康な歯であっても傷つく可能性はある。これまでの経験からも、麻酔の操作で折れても、歯科への紹介状は作成しても、補償などしたこともないし、それを要求する患者とのトラブルはなかった。今後、健康な歯でも傷むことがあるとリスクを理解し、それでも手術を受けると確認した例でなければ麻酔はしないので徹底してください」という反応であったと報告を受け、唖然としました。私が患者の立場なら、健康である自分の歯が手術時の麻酔で損傷を受ければ、こうした説明で納得できないと思ったからです。
 医長はこうした麻酔科医の反応から、術前説明の書式を変更する提案をしました。できあがった文書は私からすれば「おどろおどろしい」内容のものとなっていました。これを読んで麻酔を承諾し、手術を受ける人がいるだろうかと思ってしまう出来上がりです。
 「一般的に、麻酔は安全性の高いものですが、『絶対』とは言えません。当院では、万全の策を講じていますが、以下の予期せぬ偶発症、突発事故が起きる可能性があることをご理解ください。これらの問題が生じた場合でも、問題解決のために全力を尽くします。非常にまれに、『悪性高熱症』という危険な麻酔独特の合併症が発症することがあります。体質により発症しますので、麻酔中に高熱が出て、重体または死亡された血縁の方がございましたら、お申し出ください」として、「脳卒中、心筋梗塞、不整脈、肺梗塞、肺水腫、肺炎、喉頭痙攣、咽頭部痛、歯牙の損傷、角膜・眼瞼の損傷、肝臓・腎臓障害、薬剤のアレルギー反応・ショック、末梢神経麻痺など」が書かれています。
 歯が折れるだけではありません。心臓は止まるし、肺炎にはなるし、肝障害も起こるし、麻酔中に神経麻痺まで来す「可能性」があると書かれています。一般に、情報提供は、患者側と医療者の関係を強固のものとする手段であると言われます。しかし、こうした文書では、両者の信頼関係を作っていくためのツールとなるとはとても思えません。
 こうした活動も「リスクマネジメント」ということになるのでしょうか。医療事故があまりに新聞紙上をにぎわせ、国民の医療への信頼が薄れていることが指摘されています。こうした状況を反映したためでしょう。保健所からの恒例の医療監視では、事故防止対策について、重点的に尋ねられました。「リスクマネジメント委員会」を定期的に開催しているか問われました。会議の議事録を見せろと言います。マニュアルを作成しているかとしつこく確認されます。こうした傾向は、医療者を防御的として、つねに安全策を優先させ、効果は認められるけれどもリスクを伴うやり方は次第に選択されないようになることが予測されます。はたして、それが、国民全体にとって良いことなのか、大きな疑問が残ります。リスクを冒してでも、自分の価値観に沿い、自己決定をする凛と自立した個人に出会うと、それを可能な限り支援しようというファイトが湧いてきます。結局は、相手を選んで、地道に信頼をベースにしたケアを提供していくしかないと思っています。