みんなが勝者の医療

生体肝移植という手術がある。海外での臓器移植のようにドナーが容易には見つからない日本では、元気な協力者から肝臓の一部を取り出し、移植するのである。先日、この手術を受けて、ゴルフできるまで回復した方にお会いした。彼は、肝硬変によって食道に静脈瘤ができ、そこから吐血するという致命的な状態を経験された。静脈瘤から大量に出血すれば、どうしようもない状態となる。彼自身もご家族も「死」を覚悟されたという。その時、主治医からK大学で行われているこの手術のことを聞く。藁をもすがる思いで奥さんが情報を取りに、紹介状を携え、受診に走った。ご主人の状態が予断を許さぬものであるとの認識は主治医と同じだが、この手術ができれば、救うことのできる可能性もあるという専門医の結論に、ドナー探しが始まる。血液検査により適合性がよいと判定されたのは、兄弟ではなく血のつながらぬ奥さんであった。しかし、彼女の肝臓は脂肪肝の状況で移植には向かないと指摘される。
 「主人を助けるのは自分の肝臓しかない」そう思った彼女は、2週間で11キロの減量に成功する。回復してから、ご主人はこの話を聞かされる。良くなってきて奥さんの行動に批判めいた言動をした彼に娘さんが言った。「父さん、何考えてるの? 母さんがどんな思いで痩せたか知ってるの?」泣きながら告げられたその話は、彼の予想を超えたものだった。肝臓の一部を提供してもらっただけでも借りができてしまっていた彼にとって、打ちのめされるような事実だった。うめくように「そうか」と呟くしかできなかったという。
 手術前夜、偶然にも、NHKのプロジェクトXで「肝移植」がテーマとして取り上げられ放映された。移植を行う医師達の努力が紹介された。しかし、残念ながら生着せず、結果は失敗だった。それでもこの技術・方法が多くの患者への福音となると確信した医師達の戦いが続くという内容である。番組の後半は画面がかすんで、はっきりとは見ることができなかったらしい。「前の晩やいうのに、何すんねんいう感じでしたわ。ぐちゃぐちゃになりました。けど、逆に、根性も座って、絶対うまいこといくという気持ちにもなりましたな」
 移植手術ではドナーに対する手術が先に行われる。自分の順番が来るのを待機していた彼は、手術室に搬入される奥さんに目で「頼むぞ、がんばれよ」と合図したことを覚えているという。長時間に及ぶ手術が無事終了し、目が覚めたとき、まず思ったのは、女房のことだったと彼は話してくれた。「先生な、やっぱり生きてんとあきまへんな。女房には一生、頭が上がりまへんけど、生きてるよって、礼も言えるんでっさかいな」
 彼と出会ったのは、ある銀行主催のゴルフコンペである。スタートホールで、支店長から「この方は大変な手術をされたんですよ」と紹介され、挨拶を交わした。お元気な姿にとても移植手術を受けた方とは見えなかった。ゴルフはもともと関西アマに出場するほど腕前だったという。ラウンドの最中、ゴルフもさることながら、彼の経験談をインタビューし続けた。彼のゴルフはプレー自体を楽しもうという姿勢で、実に気持ちがいい。病気や治療といった体験をうかがっていたせいかもしれないが、風格のあるゴルフであった。
 拒絶反応を押さえるために術後4年経った今でも免疫抑制剤を服用している。薬の作用を増強させるとかでグレープフルーツジュースは禁じられているが、アルコール以外の食事の制限はあまりない。昼食もうどん定食を平らげていた。しかし、タバコは続けている。主治医には、一ヶ月に一度受診するが、その時に、移植患者でタバコを吸っている影響について、医学的に評価してくれと話しているそうだ。患者−医師間のコミュニケーションがうまくいっている証だろう。
 今生きていることの値打ちをしみじみ有り難いという彼に、延命治療について尋ねた。「女房には『僕が僕らしくのうなったら、あきらめてくれ』言うて頼んでまんねん。何から何まで、それこそ全部女房におんぶにだっこですわ」むしろ嬉しそうに、依存している状態を吐露してくれた。見事な女房自慢だった。
 はたして医学・技術の進歩が人間に本当にプラスの影響を与えたのか、多少疑問に思うところがあった私だが、彼との対話によってその認識は変わることになった。値打ちのある技術もなるほど存在するのである。問題は誰に、誰が、どんなタイミングでどのようにその技術を適用するかだろう。誰に適用するのか、病状だけではない基準があるように思う。その方だけでなくご家族を含めた死生観は、確認されてもよい項目と思えてならない。術者にも条件がある。その技術の適用について、学者としての立場よりも臨床家としての観点を持ちうるかどうかがポイントではないか。手術の結果がうまくいくことが、自分のためであっては断じてならない。あくまで、対象の患者さんを頭から忘れない基本的姿勢がいるだろう。そして、両者の理解と信頼関係である。話し合いを積み重ねた成果だろう。彼は自分の担当医を尊敬する友人に例えた。こうした人間関係はうまくいったからできあがったと考えるよりも、術前から築かれていたからこそうまくいったと考えるべきなのではないだろうか。
 移植手術という特殊な技術だけではなく、多くの新しい手段が生まれ、臨床現場で応用されている。それが本当に効果を生むために、大げさに言えば、人類にとって役立つ技術となるために、結局は地道な人間としての作業が必要なのだと強く思う出会いだった。
 風呂場で彼のお腹の傷を見せてもらった。左右にそれぞれ長くのびる大きな傷だった。「先生な、女房にもまったく同じ傷がおまんねん。それ見せられたら、いやになりまっせ。どこも悪なかったのにね。何を思うたんか」また、のろけられてしまった。