上位者、権限者の弊害 

 友人を通して依頼があり、ある公立高校で講演することになった。彼のお姉さんがその高校のPTA役員をされている関係で頼まれた話である。その高校の校長は、教師ではなく、民間企業の出身である。大阪府の方針で応募され、就任された初めてのケースである。お姉さんとは、何度か打ち合わせを行い、校長先生の奮闘ぶりを聞いており、お会いすることを楽しみとして学校に向かった。
 久しぶりに足を踏み入れた高校の雰囲気は、私の時代とは大きく異なっていた。制服はない。したがって、自由な身なりで髪の形や色もさまざまである。化粧もピアスも禁止していない。開け放たれた窓から教室が見えた。生徒たちは思い思いの格好で、教師の話を聞いている。統率され、枠にはまった印象は全くない。教壇の教師もジャージ姿である。先生と生徒のやりとりがフランクなのに驚く。自分の高校時代を思い出し、その相違に、改めて「年」を感じた。彼らが勤務するときの管理のあるべき対応を思った。
 初めてお目にかかった校長先生に、「学校はいかがですか?」と尋ねた。「いやぁ、大変な世界ですよ。教職員というのは、若いときから『先生、先生』と呼ばれてね。どこか、感覚がおかしくなっているのではないですかな。当たり前と思うことが通じないのです」と苦労話が始まった。「それは、医者の世界も一緒ですわ」と合いの手を入れると、「確かに、医者も変ですな。人間相手の仕事でしょ。相手のことが分からんと始まらんはずなんですが、一定の苦労をしないとそれができないようですね」と続けられた。
 この学校は、進学校である。多くの保護者は、週休二日の影響による学力低下を心配して、何らかの対策を校長に求めたという。そこで彼は、近くの予備校と交渉し、希望者に限り、土曜日の予備校での補習授業を特別価格で提供する方針を打ち出した。先生方は猛反対であった。予備校は、ビジネスであり、学校で行う授業とは違うものである。それを学校側が勧めるというのは、方針の一貫性が無くなり、責任が持てないのでいかがなものかという主張である。この「責任が持てない」という発想は、医療現場でもよく耳にする。誰が、何に対してのものか不明のことが多く、逆に責任転嫁からの発言の場合もある。ここでの使い方もよく似た用法である。彼は「これに関して生じた問題に対しての責任は全部校長である自分が持つ」と明言し、予備校と話し合い、担当教官の評価を生徒に求めることにした。生徒が判定して問題ないとなれば、学校の先生方にも納得してもらえるだろうというのである。「これで了解してもらい申し込みを募ったら、予想以上の反響でした。しかも、予備校の先生方の評判がいいもので、今度は学内で生徒たちによる評価をしようと思っているんです」と話された。どうも、この仕掛けは最初から予定していた節があって、なかなか食えない親父さんである。医者でない人が病院長をしていると想像すれば、いかに大変か分かる。そこで彼は顧客のニーズを優先し、彼らを味方に付けることで運営をスムースに行おうとしているようだ。
 さて、医療者も、学校の先生も、ヘルスケアや教育の専門職として、利用者から相当の期待を受ける存在である。確かに、その職務は人の生命・生活・人生や子供たちの将来に関わるもので、大きな責任を背負っている。しかも、一方では、個々の人間の価値観は多様化し、こうした人間相手のサービスのニーズは、高度化・複雑化・個別化してきている。この状況下では、提供されるサービスと利用者の期待するものとの間に乖離が起こり、結果的に利用者の満足を得ることは次第に難しくなってきている。信頼が基盤の人間ビジネスに、疑いが生まれた。それでも、信頼したいと思う気持ちからの報道もあれば、すでにあきらめの境地で、冷ややかに眺める風潮も出現している。期待されるニーズが高いために、その職に当たる人たちを優遇すれば、それを励みに期待に応えるべく努力する人も排出される反面、その待遇に甘んじて、本来の期待に応えようとしない職務姿勢を育む土壌ともなりうる。教育過程での使命の熟成に続き、現場では、適正な評価とそれを反映する処遇のありようがやはり大事な課題である。
 医師や教職者を育成する過程で、資格や基本技能の獲得に至る初期の過程は、国家的な対策が必要で、手に余るが、現場では関わりを持つことができる。顧客や周囲から求められ、期待されている内容を具体的に説明し、理解を求める活動である。その上で、彼らを正しく評価し処遇する制度を確立することだろう。つまり、単純にその職種だからという給与ではなく、その職務の上での能力を反映する仕組みである。その評価基準には、基本的な職業倫理や技能に加えて、所属する組織の掲げる理念に沿う活動の評価が取り入れられる。管理者だけでなく、360度評価が基本だろう。実際には、需給関係が厳しいため、及び腰の対応となる側面がある。しかし、それぞれの専門職は、その施設でのサービスの質を決めることになる。悪い質の専門職種から良い質のサービスは決して生まれない。良い質の専門職がいる組織は、良いサービスを提供できる可能性がある。さらに、かれらが理念の具現化に向け、他職種と有機的に連携できれば顧客の期待に沿うことも可能となる。この講演が、自分の組織における医療者の教育と評価を改めて考える良い機会となった。
 その講演のテーマは「中高年の健康管理」であった。整形外科医から運動の大切さを話した。その動機付けとして、今私たちの周りで安全と信じられていた神話が次々と崩壊している事実を紹介した。政治・財界・金融・教育・医療どれを取っても基盤が不安定である。そうなると「自分で自分の○○を守る」姿勢がいるという主張である。○が「健康」なら「運動習慣をつける」となるが、○が「病院」では、「良いケアを行う」そのために「人を育てる」に尽きるだろう。