苦手とすることほど・・・

 個人主義が徹底しているといわれる北米というのに、複数の専門職をチームとして機能させることに成功している事例を見ることができる。それは、何もヘルスケアの領域だけではない。今年の6月、社会医療研究所のツアーへの部分的な参加とメジャーリーグの選手管理を見ることを目的に、1週間アメリカを訪れた。シアトルマリナーズにはイチロー選手、中継ぎ(セットアッパー)の長谷川投手、押さえ(クローザー)の佐々木投手と三人の日本人選手がいる。彼らの面倒を見るトレ―ナー陣には今年から正式に日本人の江川トレーナーが加わっている。ヘッドトレーナーのリック・グリフィンが佐々木投手の個人トレーナーとして昨年渡米した彼の実力を認めてのことである。リックには2年前、シーズンオフに来日して、MLBにおける選手管理について講演してもらった。その時、トレーナーの仕事について、「私たちの仕事は選手の健康管理である。選手が体調を崩すことなく、実力が十分に発揮できる環境を整えることが主たる業務である。しかし、その中でも、一番重要なのは、選手の命を守ることである。また、選手個人の尊厳、そして、価値観を尊重することも私たちの業務だと認識している」と話してくれた。それが印象に残り、チームの日本人選手にも話を聞き、管理の現場を見せてもらうことをお願いして訪問した。しかし、チームとしては、昨年ほどの成績は残せず、今年はプレーオフ進出を果たすことができなかった。
 先日、ドジャースの石井投手が試合中に頭部に強い打球を受け、手術を受けるというアクシデントが起こった。あの時の報道で、日本で同様の頭部外傷が発生したときと違う対応があったことに気づかれただろうか?
 彼は、現場から救急施設に運ばれ、帰宅した後、再度検査して、手術を受けている。術後一週間以内に球場を訪れ、チームメイトに会い、また、記者会見も行っている。この退院への早さは毎度のことで、今更驚かないが、今回びっくりしたのは「救急車」である。彼が倒れ込んだマウンドに、救急車が横付けされていた! 日本の球場で救急車がグラウンドレベルに入ることができる構造を持っているところはないと聞いた。しかも、搬送に際しては、ベルトで頭部をしっかりと固定されていた。当たり前の処置とはいえ、迅速で的確な対応である。これも、選手の命を守ることが最も重要と管理者もトレーナーも認識しているからこその体制ではないかと思えた。
 さて、実際の選手管理であるが、ケガをしたり、どこかに痛みを訴える選手はトレーナーが評価し、必要に応じて球団が雇用している医師(内科と整形外科)に相談する。さらに、場合により、医師からの連絡で専門機関へと紹介される。診断に基づき、治療方針が検討される。手術など、大きな決断に際しては、球団が費用を負担し、トレーナーが同行して、選手が希望する別の医師への受診が義務づけられている。セカンドオピニオンである。最終的には、トレーナーが選手の状態と対処の内容、そして治療期間を監督に報告する。その際、試合出場させるか、また、負傷者リストに載せるか(こうなるとしばらく出場できないことになり、控え選手の登録が必要となる)、トレーナーとしての意見を進言する。監督は、基本的には、この意見に従う。しかし、どうしても、出場させたい場合、選手の許可を取り、トラブルが起こっても自分の判断で行ったことであり、トレーナーの責任ではないことを記した書類に署名する方式となっている。もちろん、こうした手続きは、公式にも非公式にも数回の話し合いで決められていく。私が質問した。「監督とヘッドトレーナー、そして、球団付けの医師とトレーナー、それぞれどっちが偉いというのはある?」リックはウィンクして返答した。「ないよ。チームだからね。」
 日本人は相手と自分の社会的関係、親疎、権力位階、価値観の親和と反発など、局面ごとに異なる状況により、それに適合した関係を作ろうとする。その局面にふさわしい語句を用い、適切な語法を選択してコミュニケーションを図る人を優秀な社会的な大人として評価してきた。しかし、アメリカ人のミーティングでは、全員がファーストネームで呼び合っており、立場は平行である。従ってというのか、もともとそうなのか、語句も語法も同じである。各職種の契約では、ジョブディスクリプションが詳細に記され、責任や権限が明示されている。リックは「監督はチームを勝利に導くことが仕事であり、われわれは、選手を守ることが業務ということ、管理するのも一つの役割で、だから偉いということではない」とも話している。
 こうしたMLBの選手管理やチームでの仕事ぶりは、ヘルスケアにおけるチームを思い出させる。残念ながら、「チーム」とは名ばかりの現実がある。チームが機能し、結果的に優れた成果を生み出すにはいくつかの条件がある。たとえば、構成メンバー間に権力位階が存在しないことである。その意味では、「先生、先生」と呼び合う関係は好ましいものではない。異なる役割を担ったチームメンバーが、それぞれの責任を果たしながらつながって、共通の目的に向かって活動するという当たり前のことは簡単ではない。人間同士のチームだけではない。地域においては、施設間で、急性期から回復期、維持期、また在宅ケアと、異なる役割を担った事業体が、地域で生活する方々に良質のケアを効率的に供給するために、やはり、平行の関係で協働して機能していかねばならない。急性期ケアが、慢性期ケアより「偉い」わけではない。それは同列のことである。良い地域ケアを成し遂げるために、異なる役目を持った人や事業体が共通の目的を認識し、他者の役割を理解し、全体の流れをつかみつつ、自分の責任を果たすよう、日々の仕事に取り組むといった体制を作っていかねばならない。さて、何から手を付けるか、ともかく、動くことだろう。