患者の意識改革

 知り合いの幼稚園の園長から電話です。「遊んでて、押された子が、今朝になって痛がっていると家の人から連絡があってん。そっちで落ち合うようにしたから、頼むわ」小さい男の子を連れた母親が診察室に入りました。各関節は普通に動くし、どこを押さえても痛がる様子はありません。歩き方も普通です。母親は「いや、朝はおかしかった」と言います。親の感覚は大切ですが、本人は大人同士の話に飽きて、待合室で動き回っています。「元気やんか。心配ないで」「絶対、大丈夫ですね」母親は保証を求めます。「今日は様子を見たらええでしょ」母親は尋ねます。「夜になって痛がることはないでしょうね」
 確実な保証を求める相手は苦手です。心配なのは分かります。しかし、どうも後味が悪いのです。こちらの指示に従わないからではありません。信頼されていないように感じられるからかもしれません。相手のことを考えてアドバイスをしている技術者として誇りを傷つけられるためかもしれません。次の方の診察中に、もめている雰囲気が伝わってきます。支払いで、話し合っていました。母親は「園で友達に押されて変になったんやから、うちが払うのはおかしい。相手か、幼稚園で面倒を見るのが当然だ」と主張しています。後日、園長から、彼女に限らず最近の母親への対応の難しさをたっぷりと聞かされました。
 私たちの施設でも「院内保育所」があります。行政からの補助があるものの、かなりの赤字運営です。求人や福利厚生の意味合いで、出費を飲み込んでいます。しかし、預けている保護者としては、優れた保育を期待するのは当然です。預かってもらっているからと、ひどい対応にあきらめることはありません。しかし、何から何までベストを望むのは、無理があると思います。そもそも、こうした制度は、利用できる人とできない人があり、対象の偏りがあります。つまり、ある意味で不平等なお金の使い方です。こうした事情も考えあわせると、このシステムの赤字も、許される範囲が生じます。といって、赤字を出さないように、受益者負担とするのは現実的ではありません。一定レベルの質を確保した保育を提供するには、人件費を主体として、かなりの費用がいるからです。施設か個人のどちらかに相当の補助が必要です。
 
一方、赤字財政の市では、保母の高齢化による人件費の高騰が主たる理由で、保育所事業の継続が困難という結論を出しています。そこで、民間への委託を計画しています。しかし、父母の会では「財政が苦しいのは理解できるが、その対象として、子供たちの事業を選ぶのはどういう意味か」と、この方針に反対を表明しています。彼らは、大事な子供たちを預けるのに民間では効率第一となることの弊害を指摘しています。「民間の保育所では、人件費削減のために、ベテランの保母を退職させ、経験の乏しい若い保母を主体に雇い入れる。しかも、できるだけ職員数を減らそうとする。それでは、とても良い保育など期待できないから、民間委託には反対だ」と主張しています。市としては、こうした意見を考慮して、民間といっても、委託は誰でもよいというのではなく、社会福祉法人に限定する方針を打ち出しました。こうした保育にまつわる話は、病院業界と重ね合います。
 一つは、利用者の権利意識の高まりです。サービスの受け手は、これまで以上の水準を要求するようになりました。それは質の向上にポジティブな効果が期待できます。しかし、先ほどの母親のように、自分は責任を持たず、すべてをサービスの担い手に被せようとすれば、サービスの向上とはならず、むしろ、防御的な対応を助長します。保育と同じことがヘルスケアの業界で起こっているように思います。もともと結果が不確実であるという基盤があります。両者が信頼関係を持って責任を背負い合い、ともに問題解決に向かう意識を育てていかねばなりません。
 経営母体については、国民の意識が保育と同一であれば、医療のように重要なサービスを民間が行うことは心配で、赤字でも公立機関が背負う方が安心だという意見になるでしょう。しかし、赤字はもう容認できる限度を超えています。そうなると、質を保証し、同時に効率よい運営を行う機関こそ、この事業を行うべきだという結論になります。はたして、株式会社はこの目的に適うケアを提供できないのでしょうか?また、現在、運営主体となっている自治体や医療法人は、本当に良質のケアを効率よく提供できているのでしょうか?両者を満足させるかどうかは、経営母体の種類の問題ではなく、経営責任を担っている人間によると思えてなりません。
 儒教思想のせいでしょうか、金にまつわる議論は、日本では、抽象的な理想論より格下に見られる傾向があります。しかし、利益がなければ、いくら良いケアを提供しても続きません。「継続性」は事業を行う際の大きな責任の一つです。医療法にある「非営利」というのは、儲けてはならないという規定ではありません。儲けを配分してはならないということです。利用者だけではなく、サービス提供者を含めて広い意味での「顧客」に、利益を還元すればよいのです。むしろ、利益を上げなければ、患者サービスの向上や就業者満足につながる投資はできません。つまり、利益を出さない(出せない)機関は利用者にとって良い事業体ではないのです。この理屈から言えば、株式会社でも、医療法人でも、自治体立でも、質が良くて運営の効率の良いところが残れば、何の問題もありません。
 利用者から選ばれ、同時に利用者を選び、ケア提供のあらゆる場面において、一定の考え方に支えられた確かな技能を持ったケアを、効率よく提供することが、いつに変わらぬ課題です。また、今年もこの欄で愚痴ったり、ご報告したり、意見を述べたりさせていただく一年が始まります。どうぞよろしくお願いいたします。