急性期はすべて治せるのか

 「先生、悔しかったですわ」患者さんを急性期の病院に搬送して、帰ってきた看護婦さんの報告です。療養病床に入院中の患者さんが吐血して、近くにある急性期の病院に転院したときのことです。先方の病棟の看護婦さんに申し送りをするときに、療養病床でのケアについて、偏見を持っているような感じだったというのです。「どうせ、マルメやから、ろくな治療せんと、都合悪なったから送ってきたんやろ。療養型にまともな医者や看護婦はおるんかいな」というような対応だったといいます。私も、そういった考え方を医師仲間から言われたことがあって、その悔しさは理解できました。
 「老人病院」が過去に持っていた暗いイメージがひっついているからでしょうか?出来高払い制度の中での老人病院では、患者さんを寝かせ付けて、大量の薬を処方し、点滴を毎日して、稼いでいた姿がありました。マルメとなると、確かに、使う薬を制限する方向の経済的インセンティブが働くのは事実です。しかし、使う薬が少なくなって、高齢者の方々が元気になられたというのは定説となっています。また、国の医療財政にも良い影響があります。お金の付け方で、ケアの方向性を引っ張るのが厚生行政の常套手段ではありますが、これはなかなかヒットだったと思います。しかし、マルメの施設では、利益のために「過小診療」をしていると取られると情けない気持ちになります。
 急性期が偉くて、その後のケアは一段下のものという感覚は、継続的なケアを考えたとき、大きな問題となります。教育を担当している人たち自身が、「急性期」の環境にある人たちですから、それ以外の時期を担う人材が育ってこないという深刻な事態も生まれています。トータルに医療体制を考えたときに、急性期だけではなく、その後においても、質の高いケアが提供されなければ、優れた制度とはなりません。
 そもそも、継続的なケアでは、ケアはいくつかの段階に分けることができます。そして、その時期ごとに、ケアの基盤となる考え方は異なってきます。健康なときでもヘルスケアの対象です。それは、健康増進や疾病予防を目的としたものです。そこでは、考え方の基本として、「体力科学」的な発想が要求されます。血液検査やレントゲン撮影をして、早期に病気を見つけて対応するという「急性期」型の対応ではなく、その方の生き方や生活習慣に迫るようなアプローチが求められると思います。
 しかし、病気やけがが起こると、急性期の治療のお世話にならないといけません。大学病院(特定機能病院)や地域医療支援病院などがその役割を担っています。そこでは、「科学・技術」がバイブルとなります。先の例で、上からものをいうような雰囲気を持っているのは、この時期のケアを担当している人たちです。それは、医師だけに限りません。看護婦も、薬剤師、検査技師、栄養士、レントゲン技師やリハを担当するPT、OTにも、その傾向があります。
 その次の段階は「回復期」ということになります。命のやりとりや手術といった激しい時期を過ぎ、少し落ち着いた時期です。お家に帰る準備を進めていかねばなりません。病気やけがをすると、その病気やけがそのものによって、心身が強いダメージを受けます。さらに、治療によって、別のダメージが加わります。手術でも、安静でも、薬物治療でも、心と身体は傷みます。岡田所長がいわれるように、懐も痛みます。こうした、病気やけがによる影響と、治療によるダメージを取り戻す時期が「回復期」だと思い          ます。したがって、まだ医学的ケアが必要ではありますが、この時期の中心的なケアは「リハビリテーション」ということになります。日本の医療制度の中では、「回復期リハ病床」がまさにこの時期を担当することになるのでしょう。
 残念なことに、この回復期のケアを受けても、障害が残り、介助が相当量必要な状況であれば、居宅での生活を目標として「維持期」のケアを提供することになります。この時期のケアの基本は「介護や福祉」です。療養病床はこういった時期の方を対象としています。
 そして、いよいよ、人生の終盤です。死を迎える前に「終末期」のケアが必要です。この時期のケアが必要な対象は、何もガン患者さんだけではありません。すべての死に逝く人が、何らかの形で、こうしたタイプのケアが要ります。それは「緩和ケア」病棟での専門的なケアに限りません。近所の人からの支えも、宗教者の働きも、この時期のケアの一つとなるでしょう。残されたご家族に対しての「遺族ケア」も、このケアの概念に含まれるでしょう。ここでは、「科学・技術」を振りかざしてのケアはミスマッチとなります。むしろ「人間愛」とか人間や人生に対しての「哲学」がケアの基本として問われます。
 こうして、継続ケアには「予防期」「急性期」「回復期」「維持期」「終末期」という段階があると理解されます。この経過を眺めて、どの時期のケアが、今の日本で充実しており、どの時期が不十分で未成熟と思われますか? 「急性期」が何といっても光っているという感じですよね。別の表現をすれば、この時期のケアに偏っているということでしょう。人材も集中しています。したがって、川の流れのように、下流に移るにつれて、関心が薄れ、そこでのケアに対する評価は下がり、冒頭のエピソードのような現象が起きるのではないかと考えられます。実際に対象となる数からいえば、「急性期」以外の時期でのケアが必要な方は圧倒的に多いと思われますが、どうも、彼らの勢いに負けているところがあります。
 一つには、確かに、「質」の問題があるからかもしれません。胸を張って、「私たちは『維持期』のケアを専門としています」と言えるようにならなければ、対等に話すことはできないことになります。悔しいとこぼす看護婦さんに、「誰からも文句言われへんように、上等のケアを作ったらええやんか」と励ましながら、現状の分厚い縦の階層構造を考えると、厳しい思いをかみしめています。