喪失のケア 

 「先生、リウマチちゃいますやろな」と関節の痛みを訴えてこられる患者さんは、自分がリウマチでないことを願って診察に入られます。リウマチがやっかいな病気だという風評が強いために、リウマチという診断は、ガンとは違う意味で、ご本人にかなりのダメージを与えます。治療においては、本人がどんな情報を持っているか、反応を確かめながら、お話をする配慮が必要となります。医師の疾患に関する常識と、一般の方たちの疾患にまつわる情報には、隔たりがあることが多いからです。それを知っているかどうかは、臨床家の重要な素養になると思われます。
 もうかれこれ13年ほど、リウマチを見ている方がおられます。彼女との出会いは、ご主人が脳梗塞で片麻痺になられて、そのリハビリテーションを目的に当科を受診されたときからです。それまで彼女は、他の医療機関で、内服薬の処方を受け、リウマチの管理を受けておられました。ご主人が当院でリハを受けられることをきっかけに、私が担当することになりました。ご主人の麻痺は高度で、なかなか在宅につながらず、長期の療養となりました。6年位して、残念なことに、再発を起こし、急に亡くなりました。その時の彼女は、主人を亡くした悲しみはもちろんのことですが、一方では、長期の介護から解放され、肩の荷を下ろしたような表情であったように思います。
 彼女自身のリウマチは、幸い、膝や股関節といった移動に関係する関節はそれ程、傷んでいません。しかし、肘、ことに、手首や手指では、変形が次第に進行して、いろいろと生活に支障が生まれてきていました。一月に一回位のペースの診療です。先日、目を腫らして、診察室に入ってこられます。事情を伺うと、長男の方が、風呂場で倒れていて、救急車で運ばれた。いまだに意識がない状態のままだというのです。思わず、「それはあんまりええ兆候とちゃうな」と反応してしまいました。「えっ」と彼女は聞き返します。後で聞いた話では、お嫁さんは詳しく病状の説明を受けていて、ある程度の覚悟をなさっていたのですが、おばあちゃんには、心配させるだけだと情報を伏せていたようなのです。回復すると信じていた彼女にとって「ええことないで」という医師の一言が意外だったのでしょう。
 そして、次の受診の機会に「先生、言うてはった通りでしたわ。あれから一週間で亡くなりました」と目頭を押さえます。「寂しいですわ。何で、こんな順番になりますのん?」こちらは頷くしかできません。「ただでも、こんな手になってしもうて、世話できへんで、申し訳ないのに、私が残って、元気なあの子が先に逝ってしまうて、残酷でっしゃんか」自分のリウマチによる関節障害をそんな風に負い目に感じて生きていたのかと、はっと胸を突かれる思いでした。
 リウマチを診療して、かなりの方を経験してきました。私なりに、疾患の治療というだけではなく、それによる影響をできるだけ減らすような支援を工夫してきたつもりです。それでも、障害をこんな風にとらえて生きてこられたという事実は、重く残りました。治らない病気や愛する人との別れなど、人間に課せられる様々な試練について、もっともっと深く掘り下げないと、彼らに正面から対峙することは難しいなと改めて感じさせられました。