自己決定できる自己

 「椎間板ヘルニア」という病気をご存じですか?背骨の間でクッションの働きをしている椎間板の中身である「髄核」という成分が弱いところから飛び出して、神経を刺激し、足の方に響く痛みを起こす病気です。普通のレントゲン写真では、骨しか映りませんから、椎間板は見ることができません。しかし、最近では、MRIが普及してきました。そのおかげで、患者さんを痛がらせることなしに、椎間板や脊髄の様子を知ることができるようになりました。
 この病気は、神経に対する圧迫という刺激によって炎症が起きて、痛みが出現します。圧迫があっても痛みのない例は、たくさんあります。ですから、神経の炎症がうまく取れれば、圧迫を取るような手術に頼らなくても、楽に過ごすことができるようになります。実は、私もこの症状が時々出ます。筋肉痛や打ち身の痛みとは違う性質の、嫌ぁな種類の痛みです。奥の方で疼くような感じです。でも、ゴルフはできます。
 さて、こうした椎間板ヘルニアの情報は、最近では、インターネットで簡単に調べることができるようになりました。病気のことを知ってもらおうと、一から説明していると、手術方法の比較の質問が飛び出したりして、驚かされることもあります。基本的には、疾患の情報を患者さんご自身が勉強されることは、良いことだと思います。自分にあった医療者を探すこともできるでしょうし、彼らを評価することも可能となるかもしれません。しかし、本当に正しい情報が流れているか、また、こうした情報が上手に利用されて、良い効果を生んでいるかというと、疑問な点もあります。
 この病気になって治療を受けた方がいろいろな意見や経験を書き込む「椎間板ヘルニアの広場」というものがあります。誰でもアクセスできて、自由にメールを送ることができます。読んでみると、薬や手術のマイナス面ばかりが強調されているようなメッセージが多いように思いました。きちんと説明を受けなかった人、期待する治療効果が出なかった人、ハナから西洋医学に不信感を持っている人からの投稿が多いためでしょうか? 確かに、薬には副作用もあります。しかし、日常生活が辛くて堪らないような痛みがあるときに、副作用を恐れて、薬を飲まずに我慢するというのは、変な気もします。
痛みがあれば安静にしているという方法は優れた知恵だと思います。しかし、それもあまりに長い期間となると、動かないことによる弊害の方が勝ってきます。「安静にしている期間はできるだけ短い方がええやろ。せやから、薬や注射はうまいこと使うたらええねん」と説明しますが、薬を使うことに強い抵抗を持っている方には、通用しません。
 同じように、手術についても、頑なに受け付けない反応を示す方がおられます。「手術という方法もありますよ」とマイルドに表現したつもりでも、いったん「手術」という言葉が医者から出ると過剰に反応されるのです。「絶対せぇへんからな。手術してうまいこといったなんて話、聞いたことあらへん。あんたもうまいこと言うて、切りたいだけちゃうか」という感じです。目つきは明らかに変わってしまいます。そして、後ずさりするように、診察室から退散されます。
手術は、どうしても必要な例に、良いタイミングで、正しく行われれば、良い効果もあると思うのですが、切られる身になると、そんなに簡単には割り切れないようです。以前、ある友人に、「身につけた技術は使いたくなるのが人情だ」と言われました。手術がおもしろくてたまらない頃です。自分では気付かないうちに、手術を勧めるような説明をしていたのかもしれません。その後、できるだけ客観的に、あるいは、自分の家族ならどうするかという風に、医師としての治療方法の選択が、偏った判断から行われないように気を付けてきたつもりです。しかし、先ほどの例のように、頭から手術を拒否されるような例にあうと、外科医としての血が騒ぐことがあります。「あんたが痛い言うよって、何とかせなあかんと話しただけやんか。何でそんなに、悪いことしたみたいな目で睨まれなあかんねん」と心の中は揺れ動きます。

 それでも、手術というものは、よくよく考えないといけない治療法だと思います。アメリカの統計を見ると、あれだけ医事訴訟が多い国というのに、手術の件数が多いのにびっくりします。医師たちが、訴訟を恐れて防御的にならなず、積極的治療を勧めるというよりも、手術したら良くなるという神話が患者の側にあって、「さっさと切ってくれ」という国民性があるように思います。日本人の生理は違いますね。私に関して言えば、年を取ってきたせいか、手術傾く気持ちは薄れてきたようです。それは、患者さんから言われる手術にまつわる些細な悩みや症状が気になりだしたからかもしれません。そもそも、手術した後の傷跡がどれくらい痛くて、気になるかというのは、その手術の効果の判定での項目には含まれません。評価は医学的な、治療者の視点から行われます。これでは、片手落ちではないかと考えるようになってきました。患者さんとの対話から、手術がどれほど人を痛めつける治療か、思い知らされることがあります。手術方法の評価には、必ず、患者さんの立場からの意見を入れるようなシステムがいるでしょう。さらに付け加えれば、費用についても考察されるべきだと思います。単に、医学的な見地からだけでは不足であることは間違いありません。
 手術すればよいか、しないほうがよいのか、それは、道選びのようなところがあります。純粋に、同じ条件で、二つの治療方法を比較することが不可能だからです。結局、科学的な分析に加えて、自分の感じや医者との相性といった不確定な要素を交えて、自己決定するしかないのでしょう。