ちょっと待って!

「先生、段取り、狂うてしもて、さっぱり、わやですわ」久しぶりに診察にきたおっちゃんがしょんぼりと言います。「どうしたんや?」と聞くと、「嫁はんが急に逝ってまいよった」と肩を落とします。彼は76歳、長年の腰の痛みで、時々「注射をしてくれ」と受診してきます。趣味の畑仕事で前屈みの作業をすると、必ず翌日には痛みが出るようです。それでも、土から離れられません。時には、収穫を手土産に訪れることもあります。奥さんは、元気な方で、彼と違って腰も曲がっておらず、肌艶もぴかぴかとしたエネルギーあふれる印象の方でした。彼としては、自分が先に逝く心つもりをしていたのに、まさか、その順序が逆になるとはという思いで、最初の発言になりました。
 長年連れ添った連れあいを亡くして、後を追うように元気がなくなり、弱ってしまわれる例は珍しくありません。生活にあいてしまった大きな穴を埋めることは簡単なことではないのでしょう。ご主人を亡くされたおばあさんが、一人でご飯を食べた後、片づけをしていて、洗うお茶碗が一つであることが悲しくて、涙が止まらないという話も聞きました。
 急性期のヘルスケアの現場では、身体の不調を相手にします。最新の技術を駆使して傷んだ臓器を修復することに全力を傾けます。それでも、いつも、命を救うことができるとは限りません。ご家族とともに、悲しみや無力感を味わう暇もなく、次の症例が待っています。死後の処置が済み、お見送りを済ませると、カルテが閉じられ、その方の診療は終わります。病院から出たご家族にとって、そこは悲しみの入り口となります。愛する人の死は簡単に受け入れることのできない事実です。
 死ぬことほどはっきりとした厳然たる出来事ではないにしても、脳卒中のように、自分の身体を自由に動かすことができない障害を残す病気もあります。医療スタッフは急性期の治療が終わると、次はリハビリテーションをがんばりましょうと声をかけます。中には、機能回復に向けて、積極的に取り組む方もおられますが、時間がたつにつれ、一向に改善しない状況にいらだつ方も多く見かけます。こうなると「きっと、良くなるから」とか、「そのうち治りますよ」という励ましは、かえってご本人を苦しめることにもなります。一縷の望みをかけるご家族の思いと、良くなっていかないという現実との間に、ずれがあって、その差は日に日に大きくなっていくのです。結局、目標が見えなくなってしまい、何にもしないでただ時間が過ぎていくような生活になってしまう例も見かけます。リハスタッフは「あの人は障害の受容ができていないから」と総括します。しかし、その方やご家族の立場を想像すると、そんなに簡単に、自分の身体を自分で動かせなくなってしまったという事実を受け入れることができるのだろうかと、疑問に感じることもあります。
 神経難病のように、次第に機能が低下していく病気もあります。これらの病気はなかなか診断がつきません。身体がふらつくようになり、受診しても、検査やレントゲンでは異常が出ないからです。気のせいではないかと言われたりしますが、そのうち、歩行もおぼつかなくなったり、会話がスムースにいかなくなって、ようやく、普通ではないとなり、神経内科や脳神経外科という専門家を受診し、診断がつくことになります。正しい診断にたどり着くまで、長い例では、数年を経過しています。ただし、診断がついたところで、元から治す治療方法はありません。衰えていく機能をできるだけ保持するように、機能訓練を勧めることになります。
 また、こうした病気には、遺伝するたちのものもあります。その場合、ご本人の病気に加えて、別の悩みと苦しみを抱えることになります。結婚した相手に神経難病が発病した方がおられます。彼女はご主人を懸命に看病しますが、50歳前半で亡くなってしまわれます。三人の子供さんの内、娘さんは、10代で発病します。今度は娘さんの介護です。そして、二人の息子さんも年頃になってきました。好きな人ができて、将来のことを相談していると聞きます。病気のことが気になって仕方ありません。そんな時、遺伝子診断というのがあることを知ります。発病する可能性があるのかどうか、調べることができるというのです。彼女は悩みます。その検査を受けるべきかどうか、もし、陽性と出れば、どう対処すればよいのか、自分でも自信がないからです。彼女は息子さんと語り合います。陽性となれば、どうするか、お付き合いをしている相手の方に話すのか、二人で決めて、その上で、検査を受けることにします。彼女は出るような気がすると思っていたと後で話してくれました。残念なことに、その予感通りでした。その結果を聞いた相手の方は、当初は、それでも結婚するという返事でした。子供は作らないけれども、お世話をすることになる覚悟で一緒になるというのです。しかし、それから数ヶ月後、ご親族からの進言もあって、その話は破談となりました。子供たちと一緒に暮らしていきますと、報告される彼女になんと声をかけてよいか分かりませんでした。
 ヘルスケアの現場でさまざまな人生に出会います。明るく前を向いて、いつも解決方法を探すような積極的な生き方に感動することもよくあります。しかし、容易に対処できない応用問題は山積みです。ここに書かせていただいただけでも、ご遺族のケア、障害受容の課題、難病が持つ深い苦しみへの対処など、技術では対応できない人間としての力が問われる課題が多くあります。ヘルスケアのプロとしての条件には、こうした問題に対して、その重要性と難しさを理解できる感性が必要ではないかと痛感しています。
 「暇やったら、病院に来てぇな。話し相手になって欲しい言うてる年寄りがいっぱいいてんねん」冒頭のおっちゃんには、病棟ボランティアを、今、お願いしているところです。