政策を避難しても・・・

 9月に社会医療研究所主催の北米リハビリテーション施設の研修ツアーに参加しました。「同時多発テロ」という大変なアクシデントで、訪問先は北米といってもカナダだけになりました。帰国できるのかと不安になった時期もありましたが、ベテラン添乗員のN氏の大活躍で、アメリカを経由せず、直接カナダからの便を利用して、無事に帰ってくることができました。専門職が実力を発揮するときの頼もしさとありがたさが身にしみました。
 さて、研修ですが、「良い訪問先が選ばれていたせいか、どこでも、良い経験をしました」と書き始めて、この表現は正確ではないことを思い出しました。日本とは違ったのでした。何故なら、カナダ(といってもオンタリオ州の話ですが)では、厳しい財政状況の下、一定のレベルのケアが提供できないような施設は、残っていないと思われるからです。
 そもそも、カナダでは、連邦政府が国としての医療制度の基本方針を打ち出し、州政府はその条件をクリアーして国からの助成を受け取りながら、州独自の医療制度を作っています。アメリカと違って、国民皆保険制度で、歯科治療を除く公的医療保険が州政府によって運営されています。州民は、それぞれ家庭医を決め、救急の場合を除き、彼らの紹介がなければ病院を直接受診することはできません。診療では自己負担はなく、薬を除いて無料です。オンタリオでは、この保険は全居住者が対象で、外国人や学生でも3ヶ月以上居住すると加入できます。基本保険料は月額36カナダドル程度で、学生を含む低所得者層には割引制度があります。
 こうした社会保障制度を維持するには、連邦政府からの助成では足りません。州として財源を確保しなければなりません。オンタリオ州は連邦政府の定めた8%の消費税にさらに7%上積みして15%を徴収しています。これらを財源として、皆保険で、医療費は原則無料という社会主義的な医療保険体制を守るのです。彼らに日本の診療では、自己負担があって今2割だが、3割に増えそうだと医療制度の話をすると、それでも保険と呼べるのかと不思議そうな顔をします。いずれにしても、足りない財源をどこから持ってくるのか、の方法論です。税からか、利用者個人からか、両国の社会保障のあり方に対する基本的な考え方の違いが、その違いに出ていると思われます。
 州の保健省では、増大する医療費の伸びを抑え、逆に削減していきながら、州民に対するケアの質は保証するにはどうすればよいか、さまざまな方策が模索されています。病院はほとんどが公立です。そして、年間予算制で運営されています。ベッドがあれば、それを利用し、支出が増えるという、医療界における「供給が需要を呼ぶ」体質を制限するため、医療制度のリストラ委員会は急性期病院の統廃合を押し進め、病床の強引な削減を実行しています。回復期のリハビリテーションや長期の療養に関しても、受け持つ病院と必要な病床数を地域ごとに決めてしまいました。その結果、今残っている施設はすでに委員会によって、必要最小限の中に選ばれた組織ということになります。つまり、訪問先として、優秀な施設を選ぶという余裕など存在しなくなっているのです。
 さらに、費用を制限するために、入院については、基準が厳しく設けられています。どのような状況で入院できるのか、医師の裁量では決めることはできません。アメリカではマネジドケアのもと、民間保険会社の縛りがきつくなりますが、カナダでは州政府、さらに各地域でのヘルスケア担当行政機関が、ルールを定めて、制限していきます。彼らに日本の社会的入院の話をしてみました。入院の基準がないことが驚きで、入院すれば高くつくのに、そんなに無駄ができるほど財政が豊かなのかと質問されました。そんなことはないが、担当した医師の判断で入院が許されると答えると、「入院させた医師にペナルティーはないのか」と言われて、返答できなくなってしまいました。財政上の苦しさによる締め付けをどうカバーしつつ、現場での質を確保していくのか、彼らの追いつめられた状況での苦労を見るにつけ、日本の甘さを痛感しました。
 それはリハビリテーションの現場でも感じました。社会復帰など障害を被った本人のQOLの修復を目指して、いくつもの専門職種がチームで取り組むという姿勢は徹底されています。そして、それだけ費用のかかるケアを提供する対象は、その成果が出ると判定された人に制限しているのです。つまり、改善の見込みの無い人に、いつまでもだらだらとリハビリのスタッフは関わりません。それは、医療ではなく、別の社会サービスで対応する体制が取られていました。機能の回復の見通しがエビデンスから明らかとされ、ご本人にも明確に説明されます。改善の夢を、幻想のように追いかけることをさせません。回復が期待できない人に「良くなるから、がんばって」というむなしくも残酷な励ましは皆無です。プロの技量をどのような人に、どういうシステムで発揮すれば、もっとも効率よく運営できるか、妥協を廃した取り組みがそこにはあると感じました。しかも、各専門職種は、対象者の尊厳を守ることについては半端ではない執念を見せます。強い使命感が伝わってきますし、表情が実に明るいのです。厳しい環境の中、施設が淘汰されたのと同様に、スタッフに関しても、有能なものだけが生き残ったからではないかと推察しています。
さて、日本です。いや、自分の組織です。財政の厳しさはカナダと同じ、または、もっとしんどい状況です。どのような新しい制度に落ち着くのか、いずれにしても、誰でもできるようなことをやっていて儲かる仕組みはなくなります。正しく、稼げるチャンスです。「顧客の尊厳を守りながら、必要なプロのサービスを、的確に、明るく提供できるスタッフのいる場を作り上げたい」その目標を改めて掲げ、また、一歩一歩です。