オリンピックで感じたこと |
自分たちの施設で治療に関与した選手が出場するということで、初めてオリンピックの舞台に行って来ました。わずか三日間の滞在でしたが、いろいろと経験することができました。 一つはオリンピックの雰囲気です。待ち全体が華やかなオリンピックムードに染まっているようでした。普段のソルトレイクシティーを知りませんが、ガイドブックによると東部から迫害を受けたモルモン教徒の人たちが落ち着いた場所ということですから、宗教色の強い、静かな町でしょう。周囲は雪山に囲まれており、近くにソルトレイクという大きな湖があります。私の乗った飛行機はサンフランシスコから近づいていきます。着陸に備えて、町の西の方から次第に高度が下がります。町の周囲の地形がよく分かります。よくこんなところに町を作ったなぁというのが、率直な感想でした。同時に、人間やその歴史を少し考えました。日本でも源平の戦いの後、多くの落人が山深く入り、伝説を残しています。主義主張や宗教の違い、人種差別や権力闘争のあげくの迫害など、人は他人と仲良く生活できないのでしょうか? 何となくわびしくなる歴史です。 この町では、こうした成り立ちから、7割以上の人がモルモン教の信者だといいます。したがって、アルコールやたばこといった嗜好品は、あまり歓迎されませんし、もちろんギャンブルは御法度です。町の中心にテンプルスクウェアがあります。大きな教会がそびえ立っており、この町のシンボルとなっています。おいしい酒と料理に目のない私としては、多少、息苦しい町とも感じられました。しかし、このオリンピック期間中はいつもとは違うようでした。世界中から選手や関係者が集まってきます。ホテルで尋ねると、普段は週末のアルコールの販売は禁止されているが、今は特別だということでした。お客さんを迎えるために、譲歩した様子がうかがえました。そうした配慮もあってか、町全体に華やかなムードが漂っているのです。夏の大会ほどではないのでしょうが、肌の色、衣装など全く違った国々からさまざまな選手たちが集います。運営趣旨について、費用の問題も絡んで商業主義の行き過ぎなどと批判の集まるオリンピックですが、こうした光景を見ると、それだけでもオリンピックという国際大会には存在意義があるようにも感じられました。 二つ目に印象に残ったのは、警備の厳重さです。昨年の9月に起こった同時多発テロの影響です。事件のあったアメリカで、世界中の人が集まります。テロリストたちにとっては、格好の舞台とも言えます。入国に際して、審査は厳重を極めていました。どこに泊まるのか、帰りの航空券は持っているのか、矢継ぎ早の質問です。サンフランシスコの乗り継ぎでは、国内線というのに、厳しい荷物や身体のチェックがありました。鞄は開けるよう指示されます。中身はすべて出されて、確認されます。コンピューターは電源を入れ、起動するまで監視されます。デジタルカメラも写ることを示さねばなりません。身体検査は金属探知器を当てるだけではなく、ベルトをはずし、靴を脱がされた状態で行われます。そのために、一人ひとりに大変な時間がかかります。したがって、チェックインの列はとんでもない長さとなります。実際、乗り込むだけで、2時間かかりました。 町では、あちこちで道路の封鎖がありました。封鎖の場所は毎日変えて、テロリストの標的とならないようにしているということでした。担当する選手の診察に、選手村に向かいました。駐車場の入り口では、許可を受けた車かどうか審査されます。その上、車の下にも鏡を差し入れて、危険物のチェックです。いよいよ、選手村に入ろうとするとゲートで、手続きをしなければなりません。大会本部に申請してくれていた私の身分証明がパスポートと引き替えに手渡されます。このカードがなければ、どこにも行けません。帰りにカードを返さないと、パスポートを返してくれません。普段ならぞんざいに扱うカードですが、今度ばかりは、無くさないように、とても神経を使いました。カードをしておれば、フリーパスかといえば、そうではありません。さらに内部に、検問所が設けられており、また荷物の審査です。これだけどこに行くにも調べられると、開き直りの心境となります。待つことに馴らされていく感じです。それにしても、安全対策は完璧のように思えました。 「世界中で一番安全な場所」という張り紙がありましたが、確かかもしれません。その分、すごい費用もかかっていると思いました。選手村の上空では24時間ヘリコプターが飛び監視しています。この選手村は、もともと、ユタ大学のキャンパスです。周囲にも建物があります。その高いビルの屋上には狙撃兵が待機しており、不測の事態に備えていました。こんな環境では、冗談でも通りに向けて銃を構えるなどという行為はしてはなりません。滞在中に起こった日本チームの不祥事は、各国の人たちの苦笑を買ったと思います。同時に、平和ぼけしている日本人と言われても仕方ないと思いました。 そして、大会です。私が関係したのはスピードスケートのショートトラックの選手でした。レースに向けての前日の練習にも立ち会うことができました。本番のレースでは会場の異様な盛り上がりに驚きました。結局、メダルには届かなかったのですが、有意義な数日、貴重な経験をすることができたと思っています。選手は、4年後のトリノに向けて、早速、練習計画の相談です。 選手がケガしたために急遽参加したオリンピックでしたが、次回は健康管理という名目で当初から参加するつもりになりました。2年後のアテネに向けて準備を始めているところです。 ”プチトマト”の「健康コーナー」トップページへ |