リハビリテーション 自分らしい人生を送るお手伝いを |
身体が自由に使えるということは、どれほど幸せで、恵まれたことか、できない状況となると身にしみて分かります。それは、逆説的にいえば、そんな目にあってみないと有り難みが分からないということでもあります。自分の手足が普通に動くことは、空気(酸素)と同じで、あって当たり前、できて当たり前のことになっているのでしょう。いうことをきかないとびっくりします。いつもなら、自分の意志通りに自然に使えている手足が、動かなくなるのは大変な事態です。急にこうした出来事が起こる脳卒中のような病気もありますが、生きていると少しずつ、変化も生まれてきます。年を取ってくると、今までできて当たり前だったことが、できなくなったりします。自分でも、そんなに弱っているのかと、老化の現実を突きつけられたようで、驚いたり悲しんだりすることは、決して珍しいことではありません。 ヘルスケアは、身体が理由でやりたいことができないという事件をうまく解決することが大切な業務です。うまく対処するといっても、すべて元通りにできるわけではありません。そこで、起こってしまった出来事が、その人に与えた影響を最小限とする工夫が問われます。その中には、できるだけそうならないように、普段から予防対策を指導する仕事も含まれています。 今回は、病気やケガから引き起こされる影響について考えてみましょう。あちこちが痛いこと、関節がうまく動かないこと、力が入らずできない動作があること、こうした不自由はすべて、「身体障害」ということになります。こうした「障害」を分析し、対処するのがヘルスケアの役割ですが、ことに、リハビリテーションでは、「障害」をよく吟味して対応することが求められる領域です。その障害を持って苦しんだり悩んでいる「人間」について、深い理解と関心が必要な分野でもあります。 障害を手際よく改善させるために、その中身をいくつかに分けて考えるやり方があります。肘の障害を例にして、考えてみましょう。肘の具合が悪くて、十分に曲がらなかったり、完全には伸びなくなってしまうことがあります。こうした障害は、身体のある部分の働きの異常で、「機能障害」と呼んでいます。これを解決するには、医師を中心とした治療スタッフが原因を考え、対策を講じる必要があります。 痛みのために動かないとすれば、その痛みを取る工夫をすれば、動かないという悩みは解決してしまうでしょう。どうして痛みがあるのかを知ることは、治療の第一歩なのですが、その過程で、治療スタッフにとって、患者さんはその間も痛みが続いていることを忘れがちな傾向があるのも事実です。原因対策に熱心になりすぎると、苦しんでいる患者さんに、さらに辛い検査を強いたりすることになります。本当に必要なものだけに限るようにしなければなりません。そして、行うとしても、ご本人に、その必要性を十分に説明し、了解を取り、行うべきでしょう。痛んでいる側としては「早いとこ、楽にしてくれ」という願いが一番ですから、検査ばかりでちっとも楽にならないと、腹立たしい気にもなってきます。相手がどんな状況か理解した上で、何を優先するか、対応する治療スタッフの器量の問われるところです。 また、若いときにかなり無理をして力仕事をしてきた方や、野球や柔道に人一倍がんばって取り組んでいた方の場合、肘の関節が傷んで、関節の中に軟骨や骨の「かけら」が動いているという状態となる方がおられます。この「かけら」が引っかかったために動かないとすれば、その「かけら」を取り出さない限り、問題は解決しません。要するに、「機能障害」とは、関節の働きの異常であり、これに対処するのは、治療スタッフの仕事ということになります。 次に、その異常のためにできない動作があるとすると、それは「能力障害」と呼ばれます。一応、治療スタッフの業務は終わり、肘の骨折したところはくっついたと医師は判断しても、肘が元のようには動かず、そのために、両手で顔を洗うこともできない、耳もかけない、髪もくくれないというのでは、ご本人にとって、治ったとはとうてい言えない状況です。こうした「能力障害」を積極的に解決しようとするのが、病院などのリハビリテーションスタッフの主たる仕事になります。 さらに、こうしたできない動作があるために、社会的な活動に影響が出たとすると、それは「社会的不利」となります。もともと、肘を激しく使う仕事に就いていた方なら、先ほどのような状態で職場に戻ることは不可能です。努力次第で元に戻るけがなら良いのですが、中には、機能回復の望めない病気もあります。こうした例での「社会的不利」の解決は、ヘルスケアスタッフの手に余る場合があります。たとえば、電動車椅子で移動できない区画があるために、行かねばならないところにたどり着けないとか、介護の方の手が不足しているから、参加するべき会に出席できないということがあります。一人ではできない動作があるために、社会生活が強く制限されるという事態です。これを何とかしようとすると、社会的な環境整備がどうしても要ります。こうした事業を進めるには、障害者の状況を知ってもらい、そのインフラを整えることの意義を理解してもらうことから始めなければならないのかもしれません。少なくとも。今のままの国民的な関心の度合いでは難しい気がします。 障害には、こうした客観的な問題の他に、精神的な障害もあります。ここでは、それについて、詳しく述べませんが、身体の不具合は、必ず、気持ちに影響を与えます。これをうまく和らげるというのは、大切なテーマです。身体障害をもう少しきちんと対応する社会となっていく過程で、次第にその重要性が認識され、徐々に状況が改善していくものだと期待しています。 今回は、1)身体の不調や関節の動きの問題をひとくくりにして「身体障害」として単純に見るのではなく、分析して対応することが分かりやすいこと、2)「障害」のとらえ方はいくつかに分かれること、そして、3)その対応は、それぞれの障害の中身を十分に見つめてから、必要な対策が行われるべきであり、4)対応される施設も、中心となって活動する職種も異なること、さらに、5)対策においては、生き方や仕事内容といった極めて個人的な要素を考慮する必要があること、したがって、6)ご家族だけではなく、関係するスタッフに、自分の身体のことだけではなく、困っていること、やりたいこと、やらねばならないことなどを伝える努力を惜しまないようにすることなどを述べました。 ややこしい話やなと思われたかもしれません。多少、リハビリテーションの専門的な話となりました。しかし、最後のところで述べましたように、リハビリテーションは、たとえ完全には回復しない身体的な障害を残すことがあっても、可能な限り、ご本人がご自分らしい人生を送っていただけるためのお手伝いをすることが仕事です。「障害があるから」と自分が本当はしたいことができないというのではなく、できるだけ、その思いが叶えられるような社会とするため、できる範囲で彼らの環境を整えることに私も一役買えたらと願っています。 ”プチトマト”の「健康コーナー」トップページへ |