世界も頭も抱える医療費問題 |
9月にカナダに出かけました。リハビリテーションの施設見学にツアーに参加したのです。アメリカのバファローという町から北に走ると、カナダとの国境までは20分ほどの距離です。有名なナイアガラの滝が二つの国を隔てています。しかし、入国はきわめて簡単でした。パスポートをちらりと見て、小さなスタンプが押されただけです。これが、あの同時多発テロ事件以来、すっかり変わったと言います。両国のあまりの風通しの良さが、犯罪を生む土壌になるという反省から、両国間の移動はこれまでのようにイージーではなくなりました。 それにしても、カナダはアメリカの影響をもろに受ける立場です。ことに、経済は密接につながっています。それでも、英連邦の一員として英国の保護を受けていたカナダと当初より独立を勝ち取ったアメリカは、こうした国の生い立ちの違いもあって、さまざまな点で違いがあります。たとえば、医療制度です。アメリカはご存じのように、民間保険が主流の国です。高齢者や障害者と貧困者はそれぞれ、メディケア・メディケイドという公的保険でカバーされていますが、大多数の国民は自分で加入する保険を利用します。そのため、無保険者といわれる人が3,000万人近くいると言われています。この事態の解決に向けて、数年前も、クリントン政権時代、ヒラリーさんが医療制度改革を掲げました。しかしながら、見事に選挙で敗れました。人のために、自分の懐から金を出すという発想はアメリカ人には馴染まないようです。病気やケガをするのは自分のせいであり、そのために普段から投資をするかしないかは、自分の判断という個人主義からの行動と思われます。アメリカ人は開拓の歴史からか、自己決定・自己責任の考え方が徹底しています。自分のことは当然、自分で決めるし、たとえ家族であってもよその人に、委ねるのは不愉快と感じます。そのかわり、結果の責任は自分にあるという自覚も強く、人のせいにするという傾向はあまりないように思います。銃規制が叫ばれてもなかなか実行できない背景は、ライフル協会の政治力もさることながら、アメリカ人という人たちが共通に持つこうした考え方が反映しているせいではないかと私は感じています。 一方、カナダは日本と同じく、国民皆保険制度です。連邦政府が基本方針を出し、それを遵守すれば、各州に補助金が支払われます。各州は連邦政府の基本方針の範囲内で、独自の保険制度を創設します。私が訪問したオンタリオ州では、医療にかかる負担は薬剤を除けば原則無料です。しかし、その財源を捻出するために、消費税は15%になっています。こうした構造から、税の使い道について州民の関心は非常に高いものになっています。数年前、カナダの経済は今の日本と同様にお寒い状況でした。オンタリオ州でも、州政府が使える財源は右肩上がりどころか、前年度割れをする状況となりました。当時、州知事の選挙では、限られた財源を教育に使うのか、また、医療や福祉に使うのか、その範囲はどれくらいにするべきかが論点となりました。小学校の一クラスの人数を少なくしようとすれば、教員の採用に費用がかかります。誰でも、そして、どんな状態でも、無料で医療を受けることができるようにするにもお金が必要です。しかし、懐具合はさびしく、ない袖は振れません。徹底的な議論が交わされ、教育を優先させることを主張した知事が当選しました。そうなると、医療費の削減の方針が打ち出され、実行に移されます。 カナダの病院はほとんどが公立です。そして、年間予算で運営されています。診療内容を審査され、年間予算が決まり、それ以上の出費はできないのです。この予算が削られました。さらに、いくつかの病院を統廃合し、地域の病床数を大幅に削減しました。それでも、病気やけがをする人の数が減るわけではありません。少なくなった受け皿でも今までと同等の結果を残さねばならないのです。どんな人を入院させ、どんな治療を行い、どれくらいで退院してもらうのか、そして、その後のリハビリテーションなどのケアをどのようにしてつないでいくのか、担当者は必死です。必要な人に必要なケアを提供できないのでは、保険制度として不備です。しかし、財源には限りがあります。 そこで、専門家たちは、診療のスタンダードを作成します。入院の基準を作ります。過去のデータをまとめて、疾患ごとの標準の治療計画を作ります。その基準に従った診療をすることで、ケアのばらつきを防ぎ、無駄を廃するのです。早く、安全に、そして、安く、病気やケガからの社会復帰ができるよう、専門職種の人たちがプロとしての名誉にかけ、知恵を出し合い、工夫をします。 こうした状況を目の当たりにすると、今の日本の医療制度を巡る議論に違和感を覚えます。基本的にコスト意識がなさ過ぎる気がするのです。「本当に必要な医療や介護とはどのようなものか」をもう一度見つめるべきだと思います。そして、プロとして断固とした態度で質の確保を保証しながら、無駄を徹底的に省く姿勢が必要ではないかと考えます。関係者は既得権益を捨てなければなりません。そして、限られた資源をどのように有効に利用すればよいのか、オープンな議論が要ります。世界中の国が医療費の問題には頭を抱えています。さまざまな方法が試され、その成果が徐々に明らかとなってきました。我が国の医療を取り囲む状況を整理すれば、今の制度のままでは突き当たり、破綻することは目に見えています。みんなで知恵を出し合い、協力しなければという危機意識で帰国しました。 次回は、さらに、具体的にどのような取り組みがなされていたかをご報告したいと思います。 ”プチトマト”の「健康コーナー」トップページへ |